Re: ( No.1 )
日時: 2026/03/14 21:11
名前: 西の勇者
知恵袋の答え(○'ω'○)
sdx********さん
2012/2/8 22:09
中華民国と言っても当時は南方を抑えた程度で、しかも諸勢力連合で統一感にかける状態でした。
一方の清国の軍隊を率いる袁世凱は、強大な武力を保有していて、まともに戦えば革命派は大混乱に陥る可能性がありました。袁世凱は袁世凱で、革命派を完全に潰せば、手にしている武力を取り上げられ、左遷されるの目に見えていました。
そこで、孫文は袁世凱と手を結び、清朝皇帝退位に持っていったわけです。
...もっと見る 大総統(皇帝ではないです)の座は袁世凱にとられましたが、孫文は議会の約束などで政治的に袁世凱をコントロールするつもりだったようです。
皇帝は権威だけで武力は、太平天国鎮圧に活躍した新式軍隊を率いる将軍たちが握っており、皇帝直属の部隊だけではコントロールできない状態でした。
三者三様の思惑があったわけです。
(一応、皇帝と書きましたが、当時皇帝は4歳で実権は皇太后など皇族の親族が握っていました)
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